マルク・シャガール(1887-1985年)

マルク・シャガール 略歴(作家名をクリックすると、Googleにて検索します。)
1887年 ヴィテブスク(白ロシア)のユダヤ人地区に9人兄弟の長男として生まれる。
1907年 サンクト・ペテルブルグの王立美術学校に入学する。
1908年 学校をやめ、レオン・バクストの教える美術学校に入学する。
この頃、最初の妻となるベラ・ローゼンフェルトと会う。
1910年 パリに出る。「パレット」「グランド・ショミエール」等いくつかの美術アカデミーに通う。
1911年 「蜂の巣」(ラ・リュッシュ)と呼ばれるアトリエに移る。ここで初期の傑作の数々が描かれた。
詩人のギョーム・アポリネール、マックス・ジャコブ、アンドレ・サルモン、ブレーズ・サンドラールらと知り合う。特にサンドラールとは親交を深める。
1914年 デア・シュトルム画廊(ベルリン)で最初の個展開催。
1915年 ベラ・ローゼンフェルトと結婚。
1922年 ベルリンに出る。銅版画家ヘルマン・シュトルックに版画の技法を学び、出版者パウル・カッシラーの依頼により、『わが回想』のための挿絵を銅版画で制作し始める。
1923年 サンドラールを通じて画商のアンブロワーズ・ヴォラールに招かれパリに移る。
1925年 1923年にヴォラールより依頼された銅版画集『死せる魂』を完成。
1926年 『ラ・フォンテーヌの寓話』の版画のためのグワッシュを制作。
この頃、出版者テリアード、ジョルジュ・ルオーやボナールを知る。
1927年 ヴォラールに依頼され、サーカスをモチーフにグワッシュを19点制作する。
1930年 銅版画集『ラ・フォンテーヌの寓話』を完成。ヴォラールから「聖書」の挿絵を依頼される。
1931年 「聖書」の銅版画を制作するため、パレスティナに旅行する。
自叙伝『わが回想』がフランスで出版される。
1933年 バーゼルの美術館で回顧展。マンハイム美術館のシャガールの作品がナチスに焼却される。
1937年 フランス国籍を取得。イタリアを旅行する。この年ドイツ国内のシャガール作品がナチスによってすべて撤去される。
1939年 ヴォラールが死去。カーネギー財団から賞を受ける。
1941年 ニューヨーク近代美術館の招聘を受け、アメリカに向かう。途中、ナチスに逮捕されるが、アメリカ領事らの尽力で釈放される。
アメリカで画家マティスの息子ピエール・マティスがシャガールの画商となる。
1944年 妻ベラが死去、シャガールは悲しみのあまりしばらく制作ができなくなる。
1946年 ニューヨーク近代美術館で回顧展開催。この年、初めてのカラー石版画『アラビアンナイト』の制作に着手。
1948年 フランスに戻り、パリ郊外に住む。画商エメ・マーグを知る。
第24回ヴェネチア・ビエンナーレで版画大賞を受賞する。
アメリカのパンテオンブックス社から『アラビアンナイトから四つの物語』が刊行される。
1950年 ヴァンスに移る。パリのフェルナン・ムルロー版画工房での制作を始める。刷り師シャルル・ソルリエと親交を結ぶ。
1952年 ヴァランティーナ・ブロドスキー(ヴァヴァ)と知り合い結婚する。
テリアードはロンゴス「ダフニスとクロエー」の挿絵の版画制作を依頼する。
ヴァヴァとギリシャへ旅行し、ポロス島に滞在、その後1954年にも旅行する。
テリアードによって『寓話』が刊行される。
1953年 「ダフニスとクロエー」のためのグアッシュを制作する。
1961年 パリの装飾美術館で「イスラエルの12の部族」と題するエルサレムに制作したステンドグラスの展覧会。この展覧会はニューヨーク近代美術館へ巡回する。
石版画集『ダフニスとクロエー』がテリアードより刊行される。
1962年 エルサレムのハダッサ病院シナゴークのためのステンドグラス制作のため、イスラエルに旅行する。
1964年 パリのオペラ座の天井画が完成。
1966年 石版画集『出エジプト記』が刊行される。
1967年 石版画集『サーカス』がテリアードより刊行される。
1968年 自作の詩を添えた木版画集『ポエム』がジェラルド・クラメールより刊行される。
1973年 ニースに国立マルク・シャガール聖書のメッセージ美術館が開館。
1974年 石版画集『オデュッセイア』が刊行される。
1977年 レジオン・ドヌール勲章を受章。ルーブル美術館で展覧会開催。
1985年 3月28日逝去。


●関連サイト
●作家の言葉
『私はニヒリズムを好まない。確かに人生は暗く悲しい。
しかし芸術は愛によって悲哀を歓喜に変えるのだ。
ジョットーの絵やモーツアルトの音楽のように。』
(1956年 矢内原伊作との対談で)

<作品紹介>
残した作品の質・量、後世に与えた影響、マーケットの大きさ等あらゆる点から、20世紀では最高クラスの美の巨人と言っていいでしょう。
私自身、シャガールの作品には「深い愛」を感じ、最も敬愛する巨匠の一人です。
版画分野でも優れた作品を多く残し、あらゆる技法で2000点以上制作しました。質的に十分収集対象となる作品が数万円程度からあるので、幅広い人気があります。
(※反面、いろいろな作品が出回っており、十分な知識と愛情を持った業者から購入されるのが安全です。)
過去扱った作品をご紹介します。

シャガール「サーカス」
シャガール
「サーカス」
「サーカス」リトグラフ 1967年(M.517)

「私にとってサーカスはひとつの世界のように過ぎ去り、溶けゆく魔法の光景である。」マルク・シャガール

1967年に出されたこの版画集は、カラーリトグラフが23点、モノクロリトグラフが15点、そしてシャガール自身のテキストによって構成されている。アメリカで第二次大戦後に初めてのカラーリトグラフ『アラビアンナイトからの四つの物語』を出版してから20年の歳月を経て、自由闊達にこの技法と向き合うシャガールの姿を感じることができる。
シャガールのテキストによれば、サーカスが繰り広げる不思議な光景は、日常を離れ、別の世界へとシャガールを導く魔法の様なものである。顔一面にメイキャップをほどこした道化師には、まるでドン・キホーテのような悲しさがあるという。シャガールの作品は、次々と繰り広げられるサーカスの出し物を躍動的にとらえ、馬や鳥、そして猛獣たちと人が一体となった、幻惑的だが生き物への愛情あふれる光景である。
サーカスをテーマにした版画集はもともと画商ヴォラールに依頼されていたもので、銅版画集『死せる魂』の制作を終えたシャガールに、『ラ・フォンテーヌの寓話』の制作を、さらにサーカスを主題とする版画集を依頼した。ヴォラールはシャガールのために、毎週わざわざ冬サーカスの席を予約したという。この依頼を受けてシャガールは、1927年に版画集の下案となるグワッシュを19点制作している。しかしながら同時期に銅版集『聖書』の制作に熱中していたため、ヴォラール存命中は本格的にサーカスに取り組めなかった。着手から40年後の1967年、慧眼の編集者テリアードにより出版される。
40年来の構想が一気に開花したというべきか、躍動的な造形と流麗で生命感溢れる色彩があいまって、サーカスの幻想世界を見事に表現しており、異論なく『ダフニスとクロエー』と並ぶシャガールのカラーリトグラフの頂点を成す作品である。

こちらの作品は、幻想的な美しさを持つ作品で、見ていると楽しくもあり悲しくもあり、何と言うのでしょうか、人生の喜怒哀楽ともいうべきものが、すべて込められている様に感じます。


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