片桐ひろえ 銅版画の世界
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(2)一版多色銅版画
「片桐さんとの出会い」 by Emiko Fukuyama
 四月のある日、私は、うちの画廊からそう遠くない所にある、この辺にしてはおしゃれな貸しギャラリーに、用事があって出かけました。
 事務室で用を済ませ、帰ろうとすると、そこのマダムが「お帰りついでに見ていって下さい。」とギャラリ−の扉を開けて下さり、案内されたのが片桐さんの個展でした。
 その日は朝から忙しくて、昼食も取れず働き通しだったため、頭も感性も最低の状態でした。 申し訳ないと思いつつも、作品を「見る」という気力が無く、ぼんやり眺めるばかりでした。
 閉廊間際の夕暮れの薄暗い中に、片桐さんはぽつんと立っていました。髪をひっつめに結い、大きな目を少し伏せて、ぴんと真っ直ぐに立っていました。
 何か声をかけなければ失礼かと思い、「美しいですね。」と申しますと、「ありがとうございます。」と、ていねいに頭を下げられました。その礼儀正しさに慌てた私は、もう少し念入りに作品を拝見し、ぼーっとした頭で辛うじて「美しい色ですね。私、好きです。」と申しました。片桐さんはニッコリ笑って、「そうですか。嬉しい。ありがとうございます。」と、また、深くおじぎをされました。
 なんと謙虚で素直な人だろう。」と驚きました。
 その時の私は、片桐さんの作品そのものよりも、むしろ人柄の方に強く感銘を受け、帰宅したのです。
 ところが、数日たつと突然、ほんのわずかな時間、それも朦朧とした頭で眺めただけのはずの片桐さんの作品が、はっきりと頭の中に蘇ってきたのです。普通の出会いなら、とっくに忘れてしまう状況なのに・・・。
 あんな状態の私だったのに、絵は、ちゃんと私に語りかけていたのです。あまりにも控えめだったので気付けなかったのでしょう。
 何としても彼女の作品を手元に置きたい、置かなくては、という想いが刻一刻と強くなり、貸しギャラリーのマダムに電話をしました。 これだけの力を内包している作品なのだから、もうとっくに、どこかの画廊や画商さんがついているのだろうと思いきや、 「全くそういう事が無い。福山さん、応援してあげて。」というお返事を頂いた時の私の心中、おわかりいただけますね。
 個展の最終日、いくつかの作品を引き取らせて頂くため、再び、ギャラリーを訪れました。今回は、気力も体力もずっと健全でした。そして一歩中に入って絵を見回した瞬間、息を呑み、足が床にすいつきました。
 何十年、なんてものではない、軽く何百年も、時間や記憶がどんどんさかのぼってゆくような、とめどないなつかしさ、心地よさ。
 「また見に来て下さったのですか? 嬉しい! ありがとうございます。」 片桐さんは丁寧におじぎをされました。そして、緊張と喜びの混ざった様な大きな目をして、いつものようにつつましく真っ直ぐに立っていました。

 聞こえるとも聞こえないともわからない程穏やかに、それでいて、途切れる事なく暖かく語りかけてくる片桐さんの絵は、何か大切な物を落としてしまってもなお気付かない位せわしく、乾いてしまいがちな私達の心を、優しく癒してくれるような気がいたします。
 多くの方々に御覧いただけますことを祈ってやみません。
 ありがとうございました。






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