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長谷川利行「浅草風景 ロック座」 2 
 前回のコラムからずいぶんとご無沙汰してしまいました。素人の雑文ですからどうかご容赦くださいね。
 前回この絵の来歴について 「実はこの絵の原購入者はこの絵を昭和20年9月に購入しています。つまり60年近くその方とご遺族の手元にあったわけです。(このことは次のコラムでご紹介いたします。)」と書きましたので、この続きを。

 この作品のキャンバス裏側に、おそらく原購入者(O氏といたします)が書き込んだのでしょう、購入日と場所が書いてありました。私は購入した日付を見てびっくりいたしました。「昭和二十年九月十九日」 終戦からほぼ一ヶ月後のことです。私は昭和35年生まれですのでもちろんこの時代のことはわかりません、ただこの時、価値があるかどうかわからない絵を買うという行為は全く私の理解を超えていました。


「浅草風景 ロック座」 裏面

 そこで「この絵を買われた方(現所有者のお父上様)はただ者ではありませんね、どういう方か差し支えなければ教えてください。」とお願いしたところ、父は生前警察官をやっていて長谷川のことは知っていたのではないか、また詩が好きで詩集を出したこともあると教えてくれ、詩集も一冊私にくださいました。
 確かに谷中で昭和18年に警察官になっており、長谷川の名は聞いていたかとは思いますが、生前接点はなかった様です。この絵に強烈に魅了されそれがたまたま名前を知っている画家だったので、お金を出して買ったのではないでしょうか。ほぼ同じ時期のO氏の詩をご紹介します。

「序詩」 O氏 詩集「野上の詩」より

 日本が破れて
 あっけなく負けて
ポカーンとした その日の真空から
ハアープ アープと
書き続けよう

(昭和20年9月 谷中警察署の独身寮で)

 O氏は苦学の文学青年で、紙芝居関係の仕事に従事しその縁で上京、その後警察官になり、生涯詩を書き続け、逝去の年に自選詩集を出版しました。ですからとても感性豊かな方であったかと思います。(なお加太こうじ著『紙芝居昭和史』岩波現代文庫に実名で登場されています。)
 さあ今は何もない、どん底だけどとにかく生きていこう、詩を書いていこう、という気持ちが、長谷川の絵に対するひたむきさ・純粋さと共鳴したのではないでしょうか。

 ここまで読んで長谷川ファンの方は東山魁夷氏の有名な文を思い出されることでしょう。少し長いのですが全文引用させていただきます。

「生まれて初めて買った絵」  東山魁夷
烈しく雨が降っていた。薄暗い午後であった。芝の美術倶楽部で羽黒洞木村東介氏の催している「長谷川利行展」を見に行った。私はその中で「裸婦」の小品に特に心ひかれた。極度に単純化された表現の、不思議な作品である。私はそれと「赤い家」の二点を買った。どちらも孤独感と寂寥感をたたえた中に素純がものが光る作品である。矢野文夫氏「長谷川利行」の年譜を見ると、三日間の入場者が、僅かに37名であったと記されている。昭和23年のことであった。私自身、漸くどん底から這い上がってきたばかりの頃で、絵などを買う余裕は無かった筈である。恐らく、よほど安い価格であったのだろう。その頃、住んでいた工場の事務所の二階借りの、狭い部屋にそれを掛けた。この絵は、私が生まれて初めて買った絵である。
 このお二人の絵を買うまでのプロセスはかなり似通ったものではないでしょうか。感性豊かな人が虚心で何かを求めていた時、出会って共鳴した、もっと言えば勇気を与えてくれた絵が長谷川の作品であったわけです。

 これは長谷川の作品の芸術としての「絶対力」が、人の心を動かしているのだと思います。絶対力ですから時代(社会状況)や場所等、不利な条件にも左右されないわけです。
 果たしてまったく同じ状況で、近年市場で幅を利かせている金満太鼓持ち美術を買う人が出てくるでしょうか?(たとえどんなに安くとも!! です。)
 それらは市場価値や文化勲章等の社会的価値、いわば相対的価値があるので買われていますが、その中で「絶対力」のある作品は意外と少ないと思います。そしてそれが無い作品は長い時の経過の内に消えて無くなることでしょう。

 今後も自分の力の及ぶ範囲で長谷川の作品を皆さんにご紹介していきたいと思います。

2005/06/24






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